本日1月11日は、開山上人内室伊藤花の祥月命日でした。50回忌のご法事を、家族で勤めました。ご高齢のお檀家さんや地域の方には、まだ花をご記憶の方がいらっしゃることと思います。生前は、大変お世話になりました。明治生まれの、一本筋の通った、それでいて楽しく優しい「堂(ど)のおばさん」でした。今も極楽浄土から、開山上人とともに私たちを見守り続けております。 南無阿弥陀佛
【花の孫、現寺庭婦人の投稿より】
「ヨイトマケの唄」を聞くと、祖母の顔が浮かびます。今日は祖母の祥月命日。50回忌法要を勤めました。
若くして、当時はまだ「堂(ど)」と呼ばれた夜見のお堂の、堂守和尚に嫁いだ祖母です。堂を守る祖父と、暮らしを守る祖母。祖母は、工事現場や飯場で働き、地引き網を手伝ったり、〆鯖を作って行商したり。学校に納めるお金を、期限当日放課後に、工事現場に取りに行った話を母から何度も聞きました。お寺では、お檀家さんやご近所さんが、気軽に庫裏の縁側に集まって、賑やかにお茶を飲んでいたそうです。本堂では、農繁期の託児所・戦中戦後の子ども会・女性を集めて踊りや芝居を仕切ったり、女性消防団でも活躍したとか。
戦後、堂はお寺になりました。祖父は開山上人、祖母は開山内室となりました。多くの堂守上人から引き継いで、明治生まれの祖父と祖母が、迎接院のお寺としてのあるべき姿を形づくったと思います。困ったことがあると、「祖父や祖母(開山上人と内室)ならどうするかな」「父や母(二世上人と内室)ならどうするかな」と、お仏壇で相談します。そして、「よろしく頼むよ〜」と、強力な応援を約束してもらいますƪ(‾.‾“)┐
晩年は視力を失った祖母ですが、先天性の股関節脱臼で身動きできない赤ちゃんだった私を、仕事で留守の母に代わって子守してくれました。通りを歩く人に声をかけて、哺乳瓶にミルクを作るのを手伝ってもらっていた話は近所でも有名(笑)。祖父と祖母が毎月の病院受診に私を連れて行ってくれました。「おばさんは目が悪いなんて分からんような歩きぶりだったよ!」と、近所の方から聞きました。おかげで私の脱臼は、治癒することができました。また、寝たきりになった祖母の布団に潜り込んでいたことはよく覚えています。祖母の匂いと温かさ。田舎の小さなお寺のおばちゃんの、私の理想が祖母の姿です。
今日は京都にいる息子も、オンラインで法事に参加してくれました。お墓参りも、息子はオンライン参加です。時代はどんどん移り変わりますが、お寺で生活させていただいている者として、私たち家族として、大切な時間を息子も一緒に過ごしてくれました。とても嬉しかったです
お祖母ちゃん、これからも、よろしくお願いしますね
南無阿弥陀佛 紀子