浄土宗
紫雲山

迎接院の願い

良きご縁に導かれ
ともにいきる幸せを実感できますように
南無阿弥陀仏

大きなともいきの中で
想い合って 助け合って 認め合って
お互いさまで生きる幸せを
お念仏からはじまる
ともいきの幸せ

共生社会のことを
浄土宗では
共生(ともいき)と申します

緯(横)の絆とは

暮らしを彩る 緯(横)のともいき
笑顔は人と人 そのかかわりの中に生まれる

 

現世に生きる ともいきの絆

  

一緒に過ごして 楽しくて ありがとう
私も頑張る 助けていただく ありがとう
喜んでもらって 嬉しくて ありがとう
あなたの姿に 勇気をもらう ありがとう
ありがとう お互いさま
あなたがいてくれて ありがとう

そんな やさしいかかわりを持ちましょう

よきご縁に導かれ

お寺の行事や活動に、あなたもご一緒しませんか?

どなたでもご参加していただけます。

また、いつでも、お一人でも、気軽にお寺にお参りください。

遠く離れてくらしていても、ホームページやSNSなどを上手に利用して、ご縁をつなぎましょう。ご連絡くださいませ。

現世に
生きるともいき

  • 開山上人の取り組み
  • 善友会
  • 戦時下戦後の託児所
  • 子ども会活動 ホワイトクラブ
  • 寺庭による地域婦人部の活動
  • 町内戦没者追悼 英霊塔 戦没者位牌本堂安置
  • 2世上人の取り組み
  • 詠唱会
  • 寺子屋サロン

経(縦)の絆とは

迎接院では、先立たれたご先祖様や自分の後に続く子孫との「経()のともいき」を大切にしています。亡き方々との縁を紡ぐ場が「葬儀」「法事」「先祖廻向」であり、その手段がお念仏であると考えます。

露の身は 此処ここ彼処かしこにて 消えぬとも 心は同じ 花の台ぞうてな

人の命を終えて後 極楽浄土の蓮のうてなで再会いたしましょう

「葬儀」は、亡くなった方を阿弥陀様の極楽浄土へ救いとっていただく儀式です。

「法事」や、施餓鬼法要・お盆・お彼岸法要などの「先祖廻向」は、亡き方を偲び、私たちのお念仏の功徳をその方々に振り向けるものです。ご先祖様との絆を確認するとともに自身の極楽往生の願いも強く致します。大切に営みたいものです。

お仏壇やお墓で、いえ、どこにいても、極楽浄土で私たちを見守ってくださっている方々に、日々手を合わせて、お念仏を申しましょう。

仏様やお浄土の方々と ともにいきる

仏様やお浄土の方々は、あなたの一番の応援団です。

残された私たちを、いつも護り導いてくださっています。

そのあたたかな慈愛を感じる暮らしを致しましょう。

そして、私たちも、いつかは浄土で未来の命を慈しむ、そんなともいきを致しましょう。

仏様や

お浄土の方々と

ともにいきる

  • お葬式について
  • 年回忌法要について
  • 春彼岸諷誦会新諷誦(初彼岸)廻向と先祖廻向
  • 施餓鬼会 初盆廻向と先祖廻向
  • 盆 棚経
  • お墓について
  • 共同利用墓「倶会一処」について
  • 永代供養について
  • 浄土宗のエンディングノート「縁の手帳」

私たちがつたえたいこと

お念仏からはじまる ともいきの幸せを

悲しみの淵から抜け出せないとき 生きる意味を考えるとき

仏教を開かれたお釈迦様は、我々の生きる「この世」のことを思い通りにならない苦しみ多き「娑婆(しゃば)」世界であると説かれました。

そして、この娑婆世界で苦しむ私たちのために、さまざまな教えをお遺しくださいました。

そのひとつがお念仏です。

Call My Name 大丈夫

「我が名を称えよ 必ず救う」という阿弥陀如来様のお誓いにおすがりし、「南無阿弥陀仏」と称えながら極楽浄土へ往生させていただくのがお念仏の教えです。

「信仰」とは「仰せを信じる」こと。

私たち浄土宗では、お釈迦様・阿弥陀様という仏様の仰(おお)せ(お言葉)を信じ、お念仏を称えながらこの世の日暮らしを行います。

お念仏を称えながら、すこしでもよい生き方を求めます。

釈迦は行け 弥陀は来いよに

中は我 押され引かれて参る極楽

「怒り・貪り・邪な心」、煩悩多き私たちです。

自ら悟りを開くことが叶わないこんな私たちであっても、この世の命尽きるとき、阿弥陀様は極楽浄土へ救いとってくださいます。

あまねく照らす弥陀のみ光に照らされて、ご一緒に、安心の中に生きてまいりましょう。

愛別離苦の悲しみも

極楽浄土での再会を楽しみに

大切な方の死や、ご自身の死について、深く考えたことがありますか。

愛するものと別れる悲しみは、その苦しみの深さは、想像を超えたものでございましょう。しかし、阿弥陀様は、極楽浄土での再会をお約束くださっています。この世での死は、永遠の別れではないのです。

『阿弥陀経』という経典に、阿弥陀様の極楽浄土の素晴らしさが記されています。

お念仏を称え自分も極楽に往生し、先立たれた懐かしい方々と再会できる。そして、この世に残された大切な方々を極楽より護り導くことができるのです。

私たちは、生死を超えて、ともに生きていけるのです。

月かげの

いたらぬさとはなけれども

ながむる人の心にぞすむ

お念仏の教えの素晴らしさを私たちにお伝え下さったのが、浄土宗を開かれた法然上人です。

阿弥陀様の光明は、すべての者に降り注いでいます。

お念仏をお称えしましょう。ともに生きてまいりましょう。

南無阿弥陀仏

現在の住職

迎接院 住職 伊藤信道

私は在家出身です。不思議なご縁に導かれ、お寺での生活が始まり,現在に至っております。子どもの頃は、想像もしなかった現在の生活ですが、たくさんの方々に育てられ「お坊さん」にしていただきました。

 

仏教では、「すべてのものは移り変わるもの」であり、「すべてのものはそれ単独で存在するものではなく、あらゆるものは他のものによって成り立っている」と説きます。良い縁、悪しき縁など様々な「縁(関係性)」の中で生きる私たちです。その中で縁も移り変わっていきます。縁が変われば自分自身も変わる。自分が変われば、縁もまた変わるのです。少しでも良い縁を求めていきたいものです。

 

近年多くの方々に迎接院へお出かけいただき、笑顔の輪を広げていただいたことを、大変うれしく思っております。当山開山(初代住職)の潮誉麟雄上人は、戦時下・戦後と寺を開放して託児所を運営し、「ホワイトクラブ」と称した子ども会活動にも力を入れておりました。

寺は人の集う場、人と人をつなぐ場であるべきとする開山上人の願いは、後世に引き継いでいくべき寺のあり様と考えるところです。

 

これからもお寺に集ってくださる皆様と、共に生きる喜びを分かち合っていきたいとおもいます。人の集う場、人と人をつなぐ場、亡くなった方々ともつながれる場として、迎接院の活動が今後一層楽しく続くよう努力してまいります。皆様のご助力、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 合掌

寺庭婦人 伊藤紀子

住職の妻です。お寺で生まれ育ち、娘として、妻として、母として、私個人として、ここで生きる喜びに感謝しております。ご縁をいただくお一人おひとりとのふれあいが、またありがたくて。誰でも気軽にふらりとお参りいただけるお寺でありたいと思います。どなた様も、ご遠慮なくお声掛けくださいませ。

「お念仏会」や「詠唱会」、「寺子屋サロン」に「子ども寺子屋」。「煎茶サロン」や「お寺でヨーガ」、「桂小文吾落語サロン」に「春彼岸の作品展」。年間通して様々な行事や活動を、たくさんの皆さんとのご縁の中で楽しんでおります。また、当地弓ヶ浜半島のご先祖様の暮らしの衣であった藍染の弓浜絣を、今も暮らしの中で楽しんでおります。そんなお寺の日々の暮らしのつれづれを、SNSでも発信中。迎接院の「ともいきの様子」を、ぜひ覗いてみてください。そして、ご一緒していただけると嬉しいです。