浄土宗
紫雲山

迎接院ブログ

第30回芋代官祭
 
芋代官様のことをご存知ですか?
私たちの命の恩人であられます。
今日は「芋代官祭」でした。今年第30回目になる地元夜見町一区自治会主催のお祭りです。昨年に引き続き、感染予防対策の為に役員さんのみで執り行われましたが、伝承し続けようとの思いがありがたく、ご一緒させていただけた寺の者は幸せです。
参加が叶わない当山の詠唱講員さんたちは、昨夜の詠唱会で芋代官様に詠唱奉納を致しました。本日、奉納の様子をビデオ上映させていただきました。
芋代官様と慕われる井戸平左衛門正明公に感謝の誠を捧げ、命の大切さや助け合うことの尊さを今一度考える大切な場が当地の芋代官祭です。
<迎接院の芋代官碑について、ホームページから抜粋>
境内にある芋代官碑は、「泰雲院殿義岳良忠大居士」と刻まれています。江戸時代中期に石見銀山大森代官であった井戸平左衛門正明公の遺徳を偲ぶ石の塚です。ご戒名が刻まれたこの石碑は、昔は、「芋塚さん」と、今よりももっと親しみを持って呼ばれておりました。
度重なる飢饉(享保の大飢饉)により多くの人が命を落とし、疲弊していた当時の民衆の命を、薩摩芋の導入や助け合いの奨励、自身の責任で幕府の米蔵を開放してまで、命を懸けて救ったのが井戸さまです。罪に問われ代官の職を解かれた井戸さまは、備中笠岡の陣屋で死亡。過労による病死説と、責任を取って切腹したとの二説が伝わっています。*享保18年5月26日(1733年7月7日)没
ここ弓ヶ浜には約50年後に薩摩芋が伝わり、天明・天保と、続く大飢饉を薩摩芋で乗り切ることが出来ました。命をつないだ人々は、井戸さまを「芋代官様」「芋神様」と感謝して塚を建立。塚は島根県を中心に岡山・広島など、現在分かっているだけで合計494基にも上ります。鳥取県内には、境港市7・米子市4・青谷町1の12基が現存し、そのうちの1基が当山の芋代官碑です。
建立・・・万延元年
世話人・・・足立喜山右ヱ門・足立仲右ヱ門・西村定七・渡辺和五郎・門脇元七
地元夜見一区自治会が主催して、毎年井戸さまのご命日に近い6月に「芋代官祭」が開催されています。井戸さまのご法事に当たる法要に加え、住職による紙芝居や地元かもめ幼稚園児による「いもだいかんさまのうた」、参加者が楽しく交流する場も設けられています。
来年は、地域たくさんの皆さんと、子どもたちも一緒になって、盛大なお祭りが再開されますように💛
 
 
このホームページ内に、芋代官碑について紹介していますので、ぜひご覧ください。
芋代官碑について/迎接院について | 紫雲山 迎接院 (kousyouin.com)
芋代官様の紙芝居芋代官を紙芝居で見る | 紫雲山 迎接院 (kousyouin.com)
 
 
 
 
 
 

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