浄土宗
紫雲山

迎接院ブログ

ご本尊縁起を紙芝居で見る

迎接院 ご本尊 阿弥陀如来 縁起

<表紙>

 「迎接院 ご本尊 阿弥陀如来 縁起」

 当寺に次のご本尊縁起が伝わっております。

 時は宝暦(1751年~1764年)江戸時代、

 今よりおよそ(260)年ほど昔のことでございます。

<1枚目>

 ここ伯耆国会見郡は夜見村に森六郎右衛門なる者あり。

 日頃より大層信心深く、

 朝な夕なに「南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛」と

 お念佛に励んでおったそうでございます。

<2枚目>

 ある夜の事、六郎右衛門は大層不思議な夢を見たのでございます。

 一人の尊げなる僧侶が枕辺に立ち、六郎右衛門にこう告げました。

 「われは弥陀の化身なり。

  今、米子灘町の喜和助なる者の所に逗留(とうりゅう)している。

  此の夜見の地に来(きた)る因縁なれば迎えに来(こ)よ。」

<3枚目>

 夢から覚めた六郎右衛門。

 「不思議な夢であった。

  常々村にご本尊のなきを淋しく思うておりたるゆえに、

  かかる夢を見たのであろうか・・・。」

 と、考えてみたのでございます。

<4枚目>

 「われは弥陀の化身なり。

  今、米子灘町の喜和助なる者の所に逗留(とうりゅう)している。

  此の夜見の地に来(きた)る因縁なれば迎えに来(こ)よ。」

 何と、次の夜も、また次の夜も、三夜に続いて同じお告げを受くるにいたったので ございます。

5枚目

<5枚目>

 「三晩も続けて同じ夢を見るとは?

  ただの夢とは思われぬ。これは夢諭(ゆめざと)しであろうか?

  確かめねばなるまい。」

 六郎右衛門、ことの真(まこと)なるかを確めんとて

 米子にでかけることにあいなりました。

 「いざ、米子は灘町へ!」

5枚目

<6枚目>

 ところかわって、ここは、米子城下の内町でございます。  

 お堀でもある加茂川より中海を経て、

 外海日本海へと続く海運の要所。

 中でも内町後藤家は、

 藩の米や鉄を扱う特権を与えられた廻船問屋でありました。

5枚目

<7枚目>

 この内町後藤家に喜和助なる食客(しょっかく)あり。

 喜和助なる者、松江藩の浪人にして後藤家の縁者。

 川向かいの灘町に住み、熱心な念彿者と高く聞こえておりました。

 喜和助の朝な夕なに称える念佛の声は、

 通りの先まで響いていたとのことでございます。

5枚目

<8枚目>

加茂川に続く中海は、錦の海、錦海(きんかい)と呼ばれ、美しい海でありました。

ゴズ・サヨリ・エノハ・ウナギ・スズキ・アオデガニ・サルボウ(赤貝)などが   とても豊富に獲れたといいます。更に流れは外海へと通じ、大きく広がる日本海は それはそれは豊かな恵みを人々に与えていたのでございました。 (※間)

この年の夏の夜。沖合に不思議な光を放つものあり。

その光に魚は遠く帰りて姿無く、漁師もまた恐れて舟を出さず。

皆が日々の暮らしに困る有様と成ったのでございます。

5枚目

<9枚目>

 勇ある者にて決死隊を作り、舟を出すこととなりました。

 光に向けて網を入れ、引揚げみんと試みまするに、

 それらしき塊、水面(みなも)より一向に上がりませぬ。

 ようやく水面に近づくものの、網を破って海底に没してしまうのでございます。

 何度も繰返してみまするに、網を損するばかり。

5枚目

<10枚目>

 自慢の力も効なく、漁師共はいよいよ恐れ戦(おのの)くこととなりました。

 「こりゃぁ、恐ろしい。」「このままでは、漁はおろか、舟も出せん。」

 「ほんに、念佛者として名高い喜和助様にお願いしてはどうだろう。」

 「あの方なら、何とかしてくださるかもしれん。」

今はただ喜和助の徳に縋(すが)るしかないと、漁師町民こぞって喜和助の元へ赴いた。

「ワシらにはもうどうすることも出来ねえ。喜和助様、あなた様だけが頼りでございます。」

11枚目

<11枚目>

 漁師共の訴えに胸を打たれた喜和助は

 「私にできることならば。」と請われるままに、舟に乗り込み早速沖へと進み出た。

 「やや、あの光か・・・。」

 不思議な光へ向けて、舟はまっすぐに進み行く。

11枚目

<12枚目>

 いよいよ網に手を伸ばし、大きく一呼吸する喜和助。

 「阿弥陀如来様、どうぞお力をお貸しください。どうかお助けくださいませ。」

 弥陀のお救い信じつつ、南無阿弥陀佛と称うれば、

 何と喜和助 力入れずも、するするすると網は舟の中へ。

 「おお、これはなんと!」喜和助の抱きあげたるは、光り輝く如来像なり。

 光の正体は、まばゆいばかりの阿弥陀如来像だったのでございます。

 

11枚目

<13枚目>

 「阿弥陀様であったのか。」

 「わしらがこぞって、何度引いても上がらなかったというのに不思議なことよのぉ。」

「喜和助様、あなた様お一人の力でお上げなさった阿弥陀様。」

「そうじゃ、朝夕念佛を称えいらっしゃるあなた様の所へ、阿弥陀様は行きたいと  仰せなのに違いない。」

 食客(しょっかく)の身にてと思案するも、皆の奨(すす)めにしたがいて、喜和助が阿弥陀如来を持ち帰ることと相成りました。

土間に臼を逆になして、その上に安置した喜和助。

益々お念佛に励み、その声は町中に響いたのでございます。

海はもとの静けさに戻り、日々豊漁の賑いとなりました。

喜和助の徳は、波を打つかのごとく広まり、知れ渡ったのでございます。

11枚目

<14枚目>

 かくして数日後、喜和助は夢諭しを受くるにいたります。

 枕辺に一人の神々しき老僧が現れ、次のように申されました。

 「われは汝に揚げられし弥陀の化身なり。

  宿縁ありて夜見に行く身である。

  六郎右衛門なる者、われを迎えに来るにより渡すべし。」

 この夢諭しは三夜に続いたのごございます。

「われは汝に揚げられし弥陀の化身なり。

 宿縁ありて夜見に行く身である。

 六郎右衛門なる者、われを迎えに来るにより渡すべし。」

11枚目

<15枚目>

 不思議不思議と思い居りし喜和助の元に、

 「私は夜見の森六郎右衛門と云いますが」と驚く案内がございました。

 「それは、まことか!」思わず飛び出し六郎右衛門の手をとって、

 すぐさまうちに招じ入れる喜和助。

 二人は互いに佛縁を語り合い、時を忘れ、まるで旧知の如くでございました。

11枚目

<16枚目>

夜見に帰りし、森六郎右衛門。

「よい知らせじゃ。とうとうここ夜見村にも阿弥陀如来様がお越しくださる。

皆でお迎えに参ろうぞ。南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛。」

村の若衆を集め、揃い鉢巻半纏で筏(いかだ)に金紫の大布団。

上に阿弥陀像を頂いて、称名念佛高らかに、賑やかにぞお迎え申したるなり。

村人こぞって灘町の喜和助の元の阿弥陀様、夜見へお迎えいたそうと、歓喜の声 のお念佛。

送る喜和助のお念佛。迎える六郎右衛門のお念佛。

弥陀を頂く村人の、はてさて道中行き交う人も、町中に念佛の声が響きわたったそうでございます。

11枚目

<17枚目>

 夜見のお堂に阿弥陀佛を奉じた六郎右衛門。

 益々念佛信仰は深まり、朝な夕なのお念佛に励むことでございました。

 村人共々大切におまつりするこの佛。

 出世佛とも讃えられ、人々の信仰をうけてまいりました。

 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛

 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛

 

 当寺に伝わるご本尊縁起でございます。

「ご本尊縁起」

絵 遠藤恵裕

カテゴリー

アーカイブ