春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ 山上憶良
波流佐禮婆麻豆佐久耶登能烏梅能波奈比等利美都々夜春比久良佐武
春になるとまず咲く我が家の梅の花 一人で見ながら春の日を過ごそう
妻を亡くした悲しみや寂しさの中、一人生きていく大伴旅人の心情を詠んだ山上憶良の歌。
〜寂しいけれど、これから一人生きていく決意みたいな強い意志を表現したかった 〜
親バカ投稿が続くのですがご容赦ください(笑)
若和尚の作品について教えてほしいとのご要望をたくさん頂きました。お祝いのメッセージなどもたくさん頂戴して感激しました。ありがとうございました。関心を持って頂けたことも嬉しくて、ありがたくて。
書の内容について書きました。長いです。関心がお在りの方は、ぜひご一読ください。
親も、慌てて万葉集を見直してみました。万葉集の「梅花の歌」は、太宰府に赴任した大伴旅人が、31人のお客人を招いて庭に咲く梅を読み比べる歌宴を催した際の、旅人の歌を含めた32首を記したものです。序文の「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)に拓(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香に薫る」から「令和」の元号が選ばれたことで知られています。
息子は、山上憶良のこの歌を撰んだそうです。華やかな宴の席で、憶良のこの歌は「独り見つつや」と詠っています。大伴旅人は、太宰府について間もなく長年連れ添った最愛の妻を亡くしました。憶良は、この館で梅の花を一人で見ることになった旅人の思いを詠んだのです。
息子はこの詩を読んだ時に、「寂しいけれど、これから一人で生きていくという決意みたいな強い意志を感じた」そうです。また、「その強さは順風満帆なのではなく、傷ついたボクサーがもう一度立ち上がるような強さ。」とのこと。寂しさと強さ、そのどちらをも表現するために、明の時代の倪元璐と、清の時代の呉昌碩文字のハイブリットを目指して書いたとか。詩の内容に合うようにとの工夫です。
倪元璐の書の特徴はカスレと余白が多くて寂しいイメージを抱かせるところ。呉昌碩の書は、倪元璐とは対照的に力強くてしなやかで、ボクサーみたいなイメージ。そこで、寂しさを表現できる倪元璐と、強さを表現できる呉昌碩のハイブリッドで表現しようと考えたのだそうです。
その他にもいろいろ教えてくれました。字の配置や、リズムと流れなど、とてもこだわって書いているようです。ここでは紹介しきれませんが、作品に込めた息子なりの強い思いが有ることは分かりました。
愛する人を亡くした悲しみと寂しさ。それでも生きて欲しいとの強い思い。
「なかなか伝えることが出来ていません。まだまだ表現の力が足りません。」とのことです。更に精進してくれることを願っています。